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今、山へ1

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山行を再開する

 学生時代は四季を通じよく山を歩いた。信州の山々、大学近くの比良山、遠く九州背梁山地に出かけ、山に100日以上泊まった年もある。しかし卒業後次第に足が遠のいていくことになる。度重なる転勤やお盆や歳末の作業等で山行の日程を友人と調整するのが難しくなったからである。加えて生来の怠け癖と酒席への傾斜が年々体力の低下を惹き起こしていることを自覚すると、とても友人に声をかけられなくなる。次第に典型的な職場人間となり、留学中に近くのコロラド・ロッキーを眺めに行ったり、子供と山の望めるキャンプ場に出かけ、山行への郷愁を懐かしむ程度となった。

  第一線を退いて条件が一挙に改善された。新しい職場では週末は束縛されないだろう。健康のために節制し、体を動かすことには家族の賛同も得られよう。山に行ける、行けないは要は本人の意志次第となった。
 もったいないことに、友人の皆さんに、引退記念に登山用具を一新していただいた。
 しかし、そうはうまく行くものではない。新しい職場でも難しい問題が待っていた。難課題であるが、今まで経験しなかったもので関心もあり、全力で対応することとなった。

  これらが一段落するころ山小舎作りにかかり、いよいよ平成7年春に山行を再開した。30余年ぶりの山行で、驚くことが多い。ピッケルのシャフトを修理するため、昔利用した店に出かけた。「修理できる人が少ないので半年はかかります。部屋に飾るためにときどき修理にみえますよ。」との話をその時は気にとめなかったが、登山用具は一変していたのである。軽く、強くなり、しかも使いやすくなった。いつも悩んでいるゴルフ用具と同様、NASAの成果がここでも享受されている。ただ、10ヤードでも飛距離を伸ばしたいゴルファーの気持ちにつけ込む商魂とは異なり、登山用具は性能が向上したのに価格が相対的に下がっているのはありがたい。

  ピッケルはシャフトまで含め軽量鋼となっている。私のものは当時では有名な鍛造鋼であるが、シャフトは木製で重く、今ではこんなものを使っている人は珍しい。アイゼンも輪かんじきもしかり、キスリングにいたっては横長から縦長に構造まで変わっている。さらにファッショナブルになっている。色彩も豊かで、欧米のブランドも多い。食糧事情が悪く、満腹感を期待して山に行っていた輩にはまったく想像できない世界である。


 また山を歩く人が様変わりしているように思える。カップルが最も目につく。それも各世代にわたっている。子供を連れたり、なかには背負っている人も見える。熟年の、それも女性が主力のグループも多い。商業的なツアーもある。かって主力であった、金はないが時間に恵まれている学生のグループにはめったに遭わない。遊びが多様になっている現在において、このように汎く市民各層が山に行くようになったのは、社会が気持ちのうえでも豊かで安定してきた証のように思える。マナーも良く、登山路も汚されていない。総体として歩いている人が増加しており、ハイシーズンにはしばしば「コンニチハ」と声をかけられる。

  解説書が多く出版されていることにも驚かされる。中高年の登山術からナイフの使い方まで手取り足取りであり、真面目な人は山に行く前に情報疲れしてしまわないのだろうか。道具も技術も情報が先歩きしているようで、快晴、無風下の楽な雪道をアイゼンまで着けた完全装備で歩いている人をしばしば見かける。

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